HARLEY-DAVIDSONのあゆみ

1903〜
ナックルヘッドの時代
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1903年〜

1903(明治36年)

最初のハーレー 最初の市販モデル生産される

1903年モデルは24.74ci(405.41cc)、フラッドヘッド、単気筒。
生産台数は3台。定価200$。



1904(明治36年)



1907(明治40年)

9月17日、株式会社(Harley-Davidson Motor Company)設立

ウォルター・ダビッドソン(Walter Davidson)・・・機械工から社長
ウィリアム・A・ダビッドソン(William Davidson)(長兄)は鉄道会社の工具室長から労務部長
アーサー・ダビッドソン(Arthur Davidson)は鋳型製作工から総務部長と営業部長
ビル・ハーレー(Bill Harley)は製図工から技術部長となる。



1908(明治41年)

T型フォード T型フォード発売される

写真は1908年型モデルTツーリング・カー。1962年 カーグラフィック 6月号より



1909(明治42年)

最初のV-TWINモデル 最初のV-TWINモデル5-D発売される

5-Dは810cc。3インチボア、3-1/2インチストローク。フラットヘッド、マグネトー点火、7馬力。

写真は最初のV-TWINモデル。Wolfgang Wiesner著、『Harley-Davidson Photographic History』より



1910(明治43年)



1913(大正2年)

旭号

写真はトライアンフ型旭号。富塚清著 『日本のオートバイの歴史』三樹書房より



1914(大正3年)

第一次世界大戦勃発



1916(大正5年)

製造番号(シリアルナンバー)が生産年から始まるようにになる。
それまでは1905年は1、1906年は2、1907年は3、1908年は4、1909年は5、1910年は6、1911年は7、1912年は8、1913年は9、1914年は10、1915年は11。



1917(大正6年)



1919(大正8年)



1920(大正9年)


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1921(大正10年)

最初の1200ccモデル、JDとFD発売される。3−7/16インチボア、4インチストローク、18馬力。



1923(大正12年)



1925(大正14年)



1926(昭和元年)



1927(昭和2年)

リンドバーグ、大西洋横断飛行に成功



1928(昭和3年)

1928年OHV350cc

写真は日本にあった、めずらしい1928年型 350ccのOHVモデル。
1961年モーターサイクリスト8月号p.72より



1929(昭和4年)

ハーレーのエンジンが新型となる。新型のモデルDは、45cu.in(750cc)のフラッドヘッドV-TWIN。
2-3/4インチボア、3-13/16インチストローク。3速トランスミッション。



1931(昭和6年)

アメリカのモーターサイクル製造会社はハーレーとインディアンのみとなる



1932(昭和7年)

1932年350cc単気筒 三共、ハーレーダビッドソンの国産化着手

アルフレッド・チャイルドと日本の実業家が、ハーレーの現行モデルの設計図を日本の会社に譲渡する契約を結ぶ。

写真は1932年350cc単気筒。タメさんの友人の単車。1980年頃撮影。



1933(昭和8年)

1933年サイドバルブビッグツイン

写真は1933年サイドバルブビッグツインモデル。不況のさなかにアールデコ調のタンクを使うセンスに注目。
Wolfgang Wiesner著、『Harley-Davidson Photographic History』より



1935(昭和10年)

ジョー・ペトラリ 国産ハーレーダビッドソン完成

ジョー・ペトラリ(Joe Petrali)の無敵のレーサー、ピーシューター(peashooter)がAMAの全13戦のダートラックレースで優勝。
ジョー・ペトラリは同年、4つのAMA新記録を樹立、ナショナルヒルクライムチャンピオンシップで優勝。

写真はジョー・ペトラリと21ciレーサー。プッシュロッド、ロッカーアームはムキ出しのOHV。
Wolfgang Wiesner著、『Harley-Davidson Photographic History』より


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ナックルヘッドの時代

1936(昭和11年)

ナックルヘッド 1000ccのOHVモデル -ナックルヘッド- 発表

オーバーヘッドバルブ、1000ccのEL発表される。ロッカーボックスの形から"ナックルヘッド"のニックネームがついた。
3−5/16インチボア、3−1/2インチストローク。
同年、1340ccのビッグツイン・サイドバルブエンジンも発表される。

写真はWolfgang Wiesner著、『Harley-Davidson Photographic History』より



1937(昭和12年)

ジョー・ペトラリはデイトナビーチで136.183mph(217.89km/h)のスピード記録を出す。マシーンはモディファイされたナックル。



1939(昭和14年)

クラークゲーブルと’41ナックル

写真はクラーク・ゲーブルと1941 デラックス ナックルヘッド。
Wolfgang Wiesner著、『Harley-Davidson Photographic History』より



1940(昭和15年)



1941(昭和16年)

1200ccのナックルヘッドが発表される

1200ccのナックルヘッド・FLモデルが発表される。3−7/16インチボア、3−31/32インチストローク。



1942(昭和17年)

XA750 水平対向のフラッドヘッドエンジン、シャフトドライブのXA750が生産される。

北アフリカ戦線で使用されるはずが、この年ドイツ軍がサハラ砂漠から撤退してしまった為、1011台の生産(内軍用1000台)で終了されたモデル。
BMWをコピーした水平対向2気筒、シャフトドライブ、フットクラッチ、4速ミッション。工作機械や開発費がかかり、ハーレーは大損する。

写真はXA750スタンダード・バージョン。David Sarafan著 『THE LIBERATORS』より



1943(昭和18年)



1944(昭和19年)



1945(昭和20年)



1946(昭和21年)



1947(昭和22年)

カリフォルニア州のホリスター(Hollister)で行われたバイカーイベントで、AMAのレースを観戦に来た若者が、酒に酔って暴徒と化し、ホリスターの町をブチ壊したとされる事件が起こったとされるが実情はどうであろうか。
先の大戦でヨーロッパで辛酸をなめた元GI達は戦争の恐怖、心の傷あとをモーターサイクルに求めた。
ヨーロッパで見たマチレス(MATCHLESS)、トライアンフ、ノートン、BSA・・・スポーティーでかっこいい外観、4速のミッション、フットシフト −本物のスポーツバイク− 。
比べると鈍重なものに思える自国のオートバイ・ハーレーを何とかカッコ良く乗りたい!とウィンドシールドを取り去り、フェンダーをブッた切ったり・・・と自分の好きなように乗り物を変えたことこそがチョッパーの原点。
1947年にアメリカで販売されたイギリス車は、ハーレーの総生産台数約2万台の3/4に値する約15000台。


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参考文献
『国産モーターサイクルのあゆみ』  八重洲出版
『ハーレーダビッドソン80年史』  デビッド・K・ライト著 高齋正訳 グランプリ出版
『日本のオートバイの歴史』  冨塚清著 三樹書房
CARグラフィック1962年6月号  二玄社
コンサイス外国人名事典  三省堂
『アメリカ史』  紀平英作編 山川出版社
『HARLEY-DAVIDSON DATA BOOK』  Rick Conner著
『Harley-Davidson Photographic History』  Wolfgang Wiesner著
『American CUSTOM MOTORCYCLES』  Andrew Morland&Peter Henshaw著
『THE COMPLETE HARLEY-DAVIDSON』  Tod Rafferty著
『THE ENCYCLOPEDIA OF THE MOTORCYCLE』  Hugo Wilson著
『THE LIBERATORS』  David Sarafan著

ご覧いただいて有難うございます

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